9月14日 クラスで一緒に復習Kahoot!(社会のテスト復習)

 今日は、社会のテスト前に学校のクイズ係さんが作ったKahoot!(カフート)をやりました。

今回のKahoot!(テスト)の範囲は、天皇中心の国づくりでした。

天皇中心の国づくりをはじめようとしたのは、聖徳太子(厩戸皇子)で、その頃の日本は豪族が互いに争っていました。そんな国を変えようと聖徳太子は当時大きな力を持っていた蘇我氏とともに、天皇中心の新しい国づくりをしました。そこで、その頃栄えていた隋の進んだ制度や文化、学問を取り入れようと、小野妹子らを使者として隋に送りました。このような取り組みから、聖徳太子は冠位十二階や十七条の憲法を定めたり、法隆寺などを建てて仏教の教えを人々に広めようとするなどかなり人間離れした活躍をしてこの世を去りました。こんなに国を動かせるのがとってもすごいですよね!ちなみに、聖徳太子が天皇になれなかった理由は、推古天皇が長生きしたかららしいですよ!その後、蘇我氏が大きな勢力を持ちました。その様子を見た中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原鎌足)が645年に蘇我氏をたおし、唐から帰国した留学生や留学僧らと共に天皇を中心とする国をづくりをはじめました。このことを大化の改新といいます。大化の改新により、中国の制度を手本とし、力の強かった豪族は貴族となり政治に参加し、地方の豪族も役人となって、地方を治めるようになりました。また、日本に最初の本格的な都が飛鳥(奈良)に作られました。また国を治めるための法律もできるなど、日本のの政治がかなり進みました。天皇の力が広まってきた証拠ですよね!藤原京の後に新しい都、平城京がつくられました。平城京には天皇をはじめ、貴族や下級役人など暮らし、賑わいをみせていました。その、一方で地方の人々の生活は厳しかったとか…そんな重い税の負担にたえかねて、豪族や大寺院に逃げ出す人もいました。さらに、平城京に都が移ってしばらくったった頃、病気によって平城京の多くの人が亡くなったり、全国各地で災害や反乱が起こるなど、社会全体に不安が広がっていました。その頃位についた聖武天皇は仏教の力で国を治めようと願い、741年にばく大な費用をかけて国ごと国分寺を建てることを命じました。さらに、聖武天皇は743年に大仏をつくる詔を命じました。大仏は、国分寺の中心である東大寺につくられました。大仏づくりを主に支えたのは、全国各地から集められた農民などの人々でした。さらに、聖武天皇は行基という僧にも協力を呼びかけました。行基とは各地で仏教を広め、貧しい人たちを救う活動をしていました。そんな行基は沢山の人に慕われていたため、行基の協力は、人を集めるうえで大きな力となりました。すぐれた渡来人なども活躍し、この大仏づくりには、のべ260万人以上の人たちが働き、9年かけて完成させました。(752年)日本に仏教が伝わってから200年ほどの月日がたっていました。この頃の日本は、中国の文化をオマージュしていました。聖武天皇は皇帝中心の政治や大陸の文化を学ばせ、新しい国づくりに役立てるために、唐へ使者(遣唐使)を送りました。当時は航海技術が発展していなかった為、船が難破するなんてこともあり、航海は命がけでした。でも、そんな危険も乗り越え、多くの大陸の文化が日本へもたらされました。一方中国や朝鮮半島の国々からもからも学者や技術者が海を渡ってやってきました。聖武天皇は日本に正式な仏教を広めるために、中国から鑑真という僧を招きました。そんな鑑真は日本に渡航をする際に何回も失敗し、6回目にやっと成功したのですが、こうした苦労がもとになって鑑真は両目の視力を失うことになったと言われています。こうした大陸の交流によってこの頃の日本では中国風の文化がさかんになりました。

今回の単元は飛鳥時代〜奈良時代だったので、その時代にあった出来事をまとめてみました

歴史をさかのぼってみると、改めて今の日本があるのはこういう偉人の方たちのおかげなんだな〜と改めて実感しますよね!みなさんの好きな歴史人物は誰ですか?

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