今日は、社会のテスト前に学校のクイズ係さんが作ったKahoot!(カフート)をやりました。 今回のKahoot!(テスト)の範囲は、天皇中心の国づくりでした。 天皇中心の国づくりをはじめようとしたのは、聖徳太子( 厩戸皇子)で、その頃の日本は豪族が互いに争っていました。そんな国を変えようと聖徳太子は当時大きな力を持っていた蘇我氏とともに、天皇中心の新しい国づくりをしました。そこで、その頃栄えていた隋の進んだ制度や文化、学問を取り入れようと、小野妹子らを使者として隋に送りました。このような取り組みから、聖徳太子は冠位十二階や十七条の憲法を定めたり、法隆寺などを建てて仏教の教えを人々に広めようとするなどかなり人間離れした活躍をしてこの世を去りました。こんなに国を動かせるのがとってもすごいですよね!ちなみに、聖徳太子が天皇になれなかった理由は、推古天皇が長生きしたかららしいですよ!その後、蘇我氏が大きな勢力を持ちました。その様子を見た中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原鎌足)が645年に蘇我氏をたおし、唐から帰国した留学生や留学僧らと共に天皇を中心とする国をづくりをはじめました。このことを大化の改新といいます。大化の改新により、中国の 制度を手本とし、力の強かった豪族は貴族となり政治に参加し、地方の豪族も役人となって、地方を治めるようになりました。また、日本に最初の本格的な都が飛鳥(奈良)に作られました。また国を治めるための法律もできるなど、日本のの政治がかなり進みました。天皇の力が広まってきた証拠ですよね!藤原京の後に新しい都、平城京がつくられました。平城京には天皇をはじめ、貴族や下級役人など暮らし、賑わいをみせていました。その、一方で地方の人々の生活は厳しかったとか…そんな重い税の負担にたえかねて、豪族や大寺院に逃げ出す人もいました。さらに、平城京に都が移ってしばらくったった頃、病気によって平城京の多くの人が亡くなったり、全国各地で災害や反乱が起こるなど、社会全体に不安が広がっていました。その頃位についた聖武天皇は仏教の力で国を治めようと願い、741年にばく大な費用をかけて国ごと国分寺を建てることを命じました。さらに、聖武天皇は743年に大仏をつくる詔を命じました。大仏は、国分寺の中心である東大寺につくられました。大仏づくりを主に支えたのは、全国各...